『天井桟敷の人々 Les enfants du paradis』 [映画のススメ]
今年の夏も暦の上では今日が最後ですね。
まあ、暑さは9月に入ってもしばらく続くことでしょうね。
私の夏バテとの戦いはしばらく終わらないようです。
今日は先日鑑賞した映画『天井桟敷の人々 Les enfants du paradis』について書いていきます。
(フランス語のタイトルを直訳すると「楽園の子ども達」という意味になります。)
この映画も「午前十時の映画祭」がきっかけで映画館で鑑賞することができました。
この映画は第一部「犯罪大通り le Boulevard du Crime」と第二部「白い男 L'Homme blanc」という
構成になっているため、約3時間の上映時間となっていました。
とても長いなあ~私は最後まで飽きずに鑑賞できるのかしらん?という不安がありましたが、
パリオペラ座バレエで「バレエ」として上演してみたかったほどの作品であるという興味に負け(笑)、
朝早く映画館に行ってきました。
『天井桟敷の人々』はバチストとガランスのラブロマンスを中心にした作品ですが、
その2人と関わってくる登場人物たちそれぞれの物語もあって、非常に面白い作品でした。
バチスト、フレデリック・ルメートル、ピエール・ラスネールは実在の人物で、
その3人を史実と変えることなく物語の中で活躍させたマルセル・カルネ監督は素晴らしいです。
(バチストは無言劇(パントマイム)で、フレデリックはシェイクスピア劇などの舞台で活躍し、
ラスネールは代筆業を営む裏で強盗や殺人を繰り返しました。)
先ほど、この作品は主人公2人のラブロマンスだといいましたが、
その裏に各々の運命を否応なしにたどっていく物語…ともいえるかもしれません。
バチストとガランスは愛し合いながらも決して一緒に暮らすことはできず、
フレデリックはガランスへの恋を成就させることができず、そのときの感情を『オセロー』で生かし、
ナタリーはバチストと結婚したものの一生彼の愛を得ることが出来ず、
ラスネールはガランスを愛しているからこそのある行為を行い…という登場人物の行動が
運命の番狂わせといいますか、運命の女神による皮肉な笑みといいますか、
そのようなものによって左右されていたものなのではないだろうかと感じました。
第二部の最後に去るガランスを追うバチストだけれどもカーニヴァルに邪魔され…の様子が
女神の笑みを現しているような気がします。
喜びの人々の中に悲しい人たちが交じっている…これほど心が苦しい場面はないはずだと思います。
その運命を示すような存在のように思えたのは古着屋ジェリコでした。
アロンソ版カルメン(バレエ)では登場人物の運命が「牛」として表現されているのを知っているからこそ、
このように考えてしまったのかもしれません。
本当に見終わったときは心から「見に来て良かったあ!」と思えました。
世界で名作と評価されている映画はやはり独特の良さ、その作品にしかない魅力というものが
あるような気がします。これからも名作として有名な作品をたくさん鑑賞したいですね。
『天井桟敷の人々』に出てきた登場人物に関して言えば、
バチストを演じていたジャン=ルイ・バローのパントマイムは素晴らしかったです。
特にバチストがガランスにある紳士の時計を盗んだという疑いを晴らすためにしたパントマイムが
何を言いたいのかということがよく伝わってくるもので印象的でした。
フレデリックの『オセロー』も見る価値ありかと思われます。
ラスネールは「ダンディズム」に生きている男性なんじゃないかなあと考えています。
第二部の後半に彼が伯爵(ガランスに心奪われた人)にしたことのあと、
謎めいた笑みのようなものを浮かべて呼び鈴を鳴らす姿は「滅びの美学」を感じさせました。
ガランスを演じたクレール・レーネは本当に美しかったです。
…特に「伯爵夫人」になったあとの彼女が非常に綺麗でした。
彼女の着ていたドレスはとても豪華で…実際に見る機会があればいいなあと思っています。
ここからはおまけ話、です。
この映画が作られたのはヴィシー政権のときでした。そのため監督はニースで撮影したようです。
ニースで多額のお金を費やしてパリの風景を再現し、
(バチストの活躍する劇場フュナンビュール座はモンマルトルにある劇場ですからね!)
ガランスを演じたクレールがナチスドイツの将校とつきあっているという噂を流させた…
という逸話が残っているようですね。(クレールの話に関しては仮説でしかないのですが。)
何かの雑誌記事を読んで印象的だったので、ここで記録として書いておくことにしました。
ヴィシー政権下で大作を作ることが出来たのは本当に凄いことだなあと思います。
『天井桟敷の人々』もフランスならではの「余韻」というものを感じさせる映画です。
白黒をはっきりとつけているようなアメリカ映画が好きな人にはちょっと向かないかもしれませんね。
まあ、私は好きです。むしろ、フランス映画のほうが好きかも…!と感じるようになっています。
ではでは!明日も更新できるように頑張りたいと思います。
まあ、暑さは9月に入ってもしばらく続くことでしょうね。
私の夏バテとの戦いはしばらく終わらないようです。
今日は先日鑑賞した映画『天井桟敷の人々 Les enfants du paradis』について書いていきます。
(フランス語のタイトルを直訳すると「楽園の子ども達」という意味になります。)
この映画も「午前十時の映画祭」がきっかけで映画館で鑑賞することができました。
この映画は第一部「犯罪大通り le Boulevard du Crime」と第二部「白い男 L'Homme blanc」という
構成になっているため、約3時間の上映時間となっていました。
とても長いなあ~私は最後まで飽きずに鑑賞できるのかしらん?という不安がありましたが、
パリオペラ座バレエで「バレエ」として上演してみたかったほどの作品であるという興味に負け(笑)、
朝早く映画館に行ってきました。
『天井桟敷の人々』はバチストとガランスのラブロマンスを中心にした作品ですが、
その2人と関わってくる登場人物たちそれぞれの物語もあって、非常に面白い作品でした。
バチスト、フレデリック・ルメートル、ピエール・ラスネールは実在の人物で、
その3人を史実と変えることなく物語の中で活躍させたマルセル・カルネ監督は素晴らしいです。
(バチストは無言劇(パントマイム)で、フレデリックはシェイクスピア劇などの舞台で活躍し、
ラスネールは代筆業を営む裏で強盗や殺人を繰り返しました。)
先ほど、この作品は主人公2人のラブロマンスだといいましたが、
その裏に各々の運命を否応なしにたどっていく物語…ともいえるかもしれません。
バチストとガランスは愛し合いながらも決して一緒に暮らすことはできず、
フレデリックはガランスへの恋を成就させることができず、そのときの感情を『オセロー』で生かし、
ナタリーはバチストと結婚したものの一生彼の愛を得ることが出来ず、
ラスネールはガランスを愛しているからこそのある行為を行い…という登場人物の行動が
運命の番狂わせといいますか、運命の女神による皮肉な笑みといいますか、
そのようなものによって左右されていたものなのではないだろうかと感じました。
第二部の最後に去るガランスを追うバチストだけれどもカーニヴァルに邪魔され…の様子が
女神の笑みを現しているような気がします。
喜びの人々の中に悲しい人たちが交じっている…これほど心が苦しい場面はないはずだと思います。
その運命を示すような存在のように思えたのは古着屋ジェリコでした。
アロンソ版カルメン(バレエ)では登場人物の運命が「牛」として表現されているのを知っているからこそ、
このように考えてしまったのかもしれません。
本当に見終わったときは心から「見に来て良かったあ!」と思えました。
世界で名作と評価されている映画はやはり独特の良さ、その作品にしかない魅力というものが
あるような気がします。これからも名作として有名な作品をたくさん鑑賞したいですね。
『天井桟敷の人々』に出てきた登場人物に関して言えば、
バチストを演じていたジャン=ルイ・バローのパントマイムは素晴らしかったです。
特にバチストがガランスにある紳士の時計を盗んだという疑いを晴らすためにしたパントマイムが
何を言いたいのかということがよく伝わってくるもので印象的でした。
フレデリックの『オセロー』も見る価値ありかと思われます。
ラスネールは「ダンディズム」に生きている男性なんじゃないかなあと考えています。
第二部の後半に彼が伯爵(ガランスに心奪われた人)にしたことのあと、
謎めいた笑みのようなものを浮かべて呼び鈴を鳴らす姿は「滅びの美学」を感じさせました。
ガランスを演じたクレール・レーネは本当に美しかったです。
…特に「伯爵夫人」になったあとの彼女が非常に綺麗でした。
彼女の着ていたドレスはとても豪華で…実際に見る機会があればいいなあと思っています。
ここからはおまけ話、です。
この映画が作られたのはヴィシー政権のときでした。そのため監督はニースで撮影したようです。
ニースで多額のお金を費やしてパリの風景を再現し、
(バチストの活躍する劇場フュナンビュール座はモンマルトルにある劇場ですからね!)
ガランスを演じたクレールがナチスドイツの将校とつきあっているという噂を流させた…
という逸話が残っているようですね。(クレールの話に関しては仮説でしかないのですが。)
何かの雑誌記事を読んで印象的だったので、ここで記録として書いておくことにしました。
ヴィシー政権下で大作を作ることが出来たのは本当に凄いことだなあと思います。
『天井桟敷の人々』もフランスならではの「余韻」というものを感じさせる映画です。
白黒をはっきりとつけているようなアメリカ映画が好きな人にはちょっと向かないかもしれませんね。
まあ、私は好きです。むしろ、フランス映画のほうが好きかも…!と感じるようになっています。
ではでは!明日も更新できるように頑張りたいと思います。
2010-08-31 18:01
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